塚田くんはこうやって……

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zoom RSS 2006年8月の仕事

<<   作成日時 : 2018/02/10 10:45   >>

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これが分かればルール通」(GOLFコミック10月号)/4P/
このホールどうやって攻める?拡大版」(GOLFコミック10月号)/4C4P+1C8P/
ゴルフジャーナル」(GOLFコミック10月号)/6P/
バナナラインを攻略せよ!」(週刊ゴルフダイジェスト9月19日号)/3P/
軸の暴れないスウィングを覚えよう」(週刊ゴルフダイジェスト9月19日号)/8P/
歴史探訪(霞が関CC)」(WeRe golferes VOL8)/6P/
陳さんとまわろう」(月刊ゴルフダイジェスト11月号)/2P/
ルール教育委員会」(ゴルフクラシック12月号)/2P/

 GOLFコミック10月号の「このホールどうやって攻める?」は、いつも5ページのところ、評判がいいということなのか特別拡大版としてカラー4ページ、1色8ページを使った。場所は東那須CC。講師は佐藤英之プロにお願いした。生徒はいつも3人のところ、2人に絞って内容を充実させた。

 週刊ゴルフダイジェストの「バナナラインを攻略せよ!」は大きく曲がるパッティングラインの入れ方&狙い方を依田祐輔プロに取材したもの。拝借したゴルフ場はホーライCC。

 同じく週刊ゴルフダイジェストの「軸の暴れないスウィングを覚えよう」は、この年ツアーで初優勝した武藤俊憲プロを育てた菅原理夫(みちお)プロを草津CCに訪ねて取材。ボールを飛ばそうとするとスウィング軸がブレてしまいがち。そうならないように筒の中でスウィングするイメージを持ちなさい、ということを懇切丁寧に紹介した。

『WeRe golfers』(ウィアー・ゴルファーズ)は日経BP社が発行するフリーのゴルフ雑誌。企画編集をS&Aプランニングが行ない、三田村昌鳳代表を編集主幹とする。8月頭、編集の佐野康子女史から連絡があり、歴史探訪の連載ページで霞が関カンツリー倶楽部をとり上げることになった、ついては取材して原稿を書いてくれとのことだった。取材日は18日、原稿の締め切りは25日。分量は400字詰め原稿用紙10枚。この雑誌の存在は以前から知っていたけれど、仕事を依頼されたのは初めてなので、うんもすんもなく引き受けましたね。三田村代表とも佐野女史とも旧知の仲でもあったし。
 以下は3本立ての柱の最初の1本目。塚田くんはこんな原稿を書いていたんだねえ。

<<<埼玉県川越市大字笠幡3398。これが霞が関カンツリー倶楽部、通称「霞」の所在地である。地図で改めて確認すると、JR川越線の笠幡駅がコースの真北にあった。しかも近い。「ならば」とコースへは電車と徒歩で行くことにした。
 小さな駅舎を出てすぐ街道を横切り、霞が関西中学校の裏手から小川沿いに南下。炎天下に涼を感じながら細い未舗装の道をてくてく歩く。左手には大きな実をつけたブドウ棚や、育ち盛りの毬栗をつけた栗の木が7〜8本。そんなおいしい中を通りすぎて歩くこと約10分。あっけないほどの時間で「霞」の駐車場が目の前に現れた。
 この日、「霞」では毎年夏休みの恒例となった「日本ジュニアゴルフ選手権」の最終日が開催されていて、場内に入っただけで何となく戦いの気配が感じられた。
 近藤英雄支配人が気遣いを見せて、
「汗が引いたところで外に出てみましょう。まずこの子供たちの熱気を見ていただいて。昭和4年に霞を設立した人たちは、このような賑わいがあるとは考えもしなかったと思うんですよ」
と誘ってくれた。
「霞」の頭に枕詞のように必ず付く「名門」。排他性を感じさせる言葉だが、「霞」はその門を閉ざすことなく、1971年から毎年この日本一のジュニアゴルファーを決する競技の会場として、36ホールのコースを提供している。「霞」は公益事業を目的とする社団法人制のゴルフ場であり、コースを提供するのもジュニアゴルファー育成の一環として当然との考えがあるからだ。その歴史の長さゆえ、いまや「霞」はジュニアゴルファーにとって高校球児の甲子園みたいな存在なのである。
 コースへ出ると、若さが充満していた。出場選手は12歳から17歳までの中学生から高校生まで。メンバーの平均年齢68歳という「霞」にあって、この年に一度の大会は若返りのいい機会になっているのかもしれない。
 ハウスから近い東コースの名物ホール、池とアリソンバンカーを越してピンを攻めていく10番パー3ホール(156ヤード)へ行くと、中学女子の最終組がちょうどハーフターンするところだった。そこでまずは観戦。オナーの京都学園中2年の宮沢亜衣(今大会2アンダーで優勝)が、まことに軽いスウィングでピン左にワンオンさせた。近藤支配人がそれを見て「我々は必死になって打っていくのに、あんなに楽々とねえ」と言いながら、ギブアップの笑みをもらす。
 この10番ホールは手腕に優れた英国人コース設計家チャールズ・アリソンのアドバイスで改造された。「霞」が開場した翌々年、東京ゴルフ倶楽部の移転先である朝霞コース設計のために日本を訪れていたアリソンが赤星六郎に伴われて立ち寄り、コースを子細に見て回ったことがある。その折、出来の良さを褒めたうえで次のような申し出を行なったという。
「これまで、自ら頼み込んで仕事をさせてもらったことはないが、この霞が関だけはぜひ改造させてもらいたい。これは金の高の問題ではなく、改造しないでそのまま帰英する気になれない。それぐらい霞が関は世界有数のコースになり得る素質がある」
 とくに10番ホールを激賞し、「もしこれに多少の改造を施せば池も生きるし、パー3ホールとして世界に名だたるウォーターホールの一つになるだろう」と太鼓判を押した、と1955年に編纂された『霞が関25年史』には記されている。
 そのとき新たに造られたのがグリーン手前のバンカーだった。日本の農家の茅葺き屋根からヒントを得たといわれる、バンカー内にぶ厚い芝の束を庇のように張り出させた独特のエッジ形状と、背丈の高さ以上もあるその深さ。見ただけでイヤな感じだが、このバンカーのおかげで、たしかに10番ホールは美しくも挑戦欲を刺激される世界で有数の名ホールになったことは間違いない。>>>

<写真>
 メキシコ・ユカタン半島のウシュマル遺跡には有名な魔法使いのピラミッドがありますが、ここへは他の多くのピラミッド同様、遺跡保護や危険防止のために登ることができなくなっておりますね。というわけで、その近くにある登れるピラミッドへ。ところが階段の踏み面が狭く、登るときはさほどでもなかったものの、降りるときは足元を確認しながら相当慎重に足をさばかないと踏み外して墜落、という恐怖心が生まれたものです。(2017・10撮)

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